本の100選:
Coyoteのサイトより引用
1『おーい ぽぽんた』/福音館書店
声で読む日本の詩歌166
小学生のために口ずさんでほしい短歌、俳句、自由詩が166選おさめられている。意味がわからなくても繰り返し声を出すことによっていつのまにかその世界に包まれるような不思議。また別巻の大岡信による俳句・短歌鑑賞は日本の美しく美味しいところを紹介していちいち感心していった。2『夜間飛行』サン=テグジュベリ/山崎庸一郎・訳/みすず書房
サン=テグジュベリ・コレクション
南米チリのパタゴニアに吹きすさぶサイクロンの中、飛行士ファビアンと飛行事業の成功をめざすリヴィエールの思いをたった一夜に集約してみせた著者の力量は緊迫した物語を生み出した。自然を受けいれることで人間の幸福を描いた傑作。3『スティル・ライフ』池澤夏樹/中央公論社
まず冒頭に文章に心を動かされる。「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない」この物語は静かな叙情をたたえ、遠いところへ耳をすませることの大切さを教えている。4『エンデュアランス号漂流』アルフレッド・ランシング/山本光伸・訳/新潮社
イギリス人探検家シャクルトンが南極大陸横断に挑戦したのは1914年12月5日のことだった。アムンゼン対スコットの到達の戦いに挑んだ冒険はその途上でぶ厚い氷に阻まれ、悪天候もあって漂流してしまった。極限の旅がそこから始まる。乗組員28人全員の17ヵ月に及ぶ奇跡の生還物語は圧巻だ。5『エンデュアランス号—シャクルトン南極探検の全記録』キャロライン・アレグザンダー・著/フランク・ハーレー・写真/畔上司・訳/ソニーマガジン/
ハーレーの貴重な写真からこの冒険の魅力と無謀さを伝えてくれている。6『さらばニューヨーク』ウィリアム・アイリッシュ/稲葉明雄・訳/晶文社
1930年後半のニューヨークが舞台の中編集、著者は大都会の裏路地に蠢く男と女を淡く切なく描いた作品で知られるのがアイリッシュだ。この本は日本で編纂された短編集だが、セレクトの主眼は孤独というものかもしれない。7『最後の瞬間のすごく大きな変化』グレイス・ペイリー/村上春樹・訳/文藝春秋
佳品という言葉がぴったりとするペイリーの短編集である。悲しみをユーモアに変え、無駄な装飾を排したペイリーの文体は心に沁みる。かつて日本でも掌編というスタイルがあり、太宰治の中期に「満願」などの名作を世に問うた。8『倒錯の森』J.D.サリンジャー/刈田元司、渥美昭夫・訳/荒地出版社
サリンジャー選集第3巻
「ブルーメロディ」という作品がいい。ベーシ—・スミスがモデルといわれている、主人公ルイーズを見つめる語り手であるラドフォードの視線が深い闇のように内面を描き出していく。9『大聖堂』レイモンド・カーヴァー/村上春樹・訳/中央公論社
レイモンド・カーヴァー全集第3巻
明晰、思慮、哀切さ、カーヴァーは観察を通して人間を描く十全とした文体を3つのリズムに集約して短編の中で生かしている。昔トーマス・マンの短編、現代はカーヴァーの短編を小説家は学ぶべきか。10『村上春樹全作品1979—1989/第5巻短篇集�』村上春樹/講談社
特に『回転木馬のデッドヒート』に収録された短編「雨やどり」「レーダーボーゼン」に魅かれる。小説にとっての真実と現実の嘘が交錯する見事さ。僕にとって村上春樹は短編作家の神髄を見せてくれる数少ない日本の作家の一人だ。11『母なる夜』カート・ヴォネガット・ジュニア/池澤夏樹・訳/白水社
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの対米宣伝放送に従事しながら、米のスパイとして活動していた男の戦後の物語が一人称の文体で赤裸々に綴られる。悲劇を乗り越えるものとしてのユーモア、人間にある知恵はそれにもう一つ忘却力か。12『富士』武田泰淳/中央公論社
富士山麓の精神病院を舞台に、狂気という病を通して人間の存在を問う大きな作品だ。同時に武田百合子の『富士日記』を読むと、作家自身の心の秘密を解き明かしていて、作家の妻の洞察力に感服する。見事なパートナー精神である。13『ブライトン・ロック』グレアム・グリーン/丸谷才一・訳/早川書房
グレアム・グリーン全集/第6巻
舞台はイギリスの海辺の行楽地ブライトン、ロンドン郊外のこの地で殺人を犯した主人公の少年の眼に写る善悪という価値。THE WHOの『四重人格』を想起するほど文体は新鮮だ。14『ビザンチウムの夜』アーウィン・ショー/小泉喜美子・訳/早川書房
カンヌ映画祭を舞台に一人のプロデューサーの光と影。「われわれはみなヘミングウェイの息子だよ」と言ったショーの文学的な系譜は失われた世代に負うところが大きい。男の哀切を彼ほど鮮やかに描き出せる作家はいないだろう。15『ぼく自身のための広告』ノーマン・メイラー/山西英一・訳/新潮社 (ノーマン・メイラー全集第5巻)
実存をセックスとドラッグに置き換え、1960年代のアメリカをもっとも象徴する作家として名乗りをあげた作家がメイラーだった。彼はまた「ヴィレッジ・ヴォイス」の創刊者の一人。ニューヨークの鼓動と一体となった作家がかつていた。16『青春を山に賭けて』植村直己/文藝春秋
学校では手のつけられないイタズラ少年が山に出会った。日本人初のエベレスト登頂を含めて、世界で初めて五大陸最高峰の山を制覇した男の夢の轍。変哲もない男が失敗を繰り返しながら、それを成長の軌跡とする。あきらめないことの大切さを本当に教えてくれる。笑って泣く。物語のように生きた男の人生は魅力的だ。17『垂直の記憶—岩と雪の7章』山野井泰史/山と渓谷社
2002年秋ヒマラヤの難峰ギャチュン・カンに単独登頂後、遭難し瀕死の重傷を追った山野井泰史の生還の物語だ。まさに奇跡といっていい出来事はたんたんと綴った山野井の文章は激しい登攀への思いを具体的にしてくれる。18『ダシール・ハメットの生涯』ダイアン・ジョンソン/小鷹信光・訳/早川書房
『マルタの鷹』「血の収穫」の作家ハメットの実人生はハードボイルド物語そのものだった。リリアン・へルマンとの交流が愛おしい。恋愛という濃密な時間を改めて感じ、創作への意欲をハメットは励ましとしていった。19『大庭みな子全集 第1巻』大庭みな子/講談社
「三匹の蟹」は南東アラスカのシトカという町を舞台に、異国で暮らす日本人の視点からアメリカの倦怠を描いた作品。森に抱かれた風景への限りない愛着、そしてなにげない日常が愛しい。20『キャパ その青春』リチャード・ウィラーン/沢木耕太郎・訳/文藝春秋
ロバート・キャパが自覚的な報道写真家となるまでを追ったノンフィクション。訳者の丹念な解説が冒険的な生涯を写し出す。本当にかっこ良く生きた男の窮屈さと切なさ、そして清冽さが見事に織りなされていく。21『キャパ その死』リチャード・ウィラーン/沢木耕太郎・訳/文藝春秋
第二次世界大戦の活躍で名声を得たキャパを再び戦場に駆り立てたものは何か、報道写真家という生き方を探る。22『敗れざる者たち』沢木耕太郎/文藝春秋
著者にとって初めてのスポーツをめぐるノンフィクション作品集は1年に及ぶ『深夜特急』の旅の前後して書かれたもので、燃え尽きた敗者の戴冠式を書くことでなした作品。以降『王の闇』へ続く、著者のスポーツノンフィクションへの系譜となった。23『森と氷河と鯨—ワタリガラスの伝説を求めて』星野道夫/世界文化社
ワタリガラスの伝説を求めることで、星野道夫はモンゴロイドの旅の軌跡を重ね、悠久の自然無窮の時間をテーマにアラスカの先住民族の生き方を描いている。ワタリガラスの一族だという一人のクリンギット・インディアンに会うことで、森の中に朽ち果てていくトーテムポールのあるカナダのクイーンシャロット諸島へ旅する。その過程で星野道夫は感じていく。人はそれぞれの光を捜し求める長い旅の途上なのだということ。24『アメリカの鱒釣り』リチャード・ブローティガン/藤本和子・訳/晶文社
アメリカの夢の終焉を破壊された自然に捧げる挽歌として置いた作品。文体だったり、テーマだったり、新しさを感じるのはアメリカという国がそこに透かしてみえるからだろうか。25『モンタナの夢の丘』トマス・マッゲイン/浅倉久志・訳/早川書房
描けなくなったことで、恋人の車を盗み、フロリダからモンタナの荒涼たる自然へとさすらう画家の憂鬱が柔らかな眼差しを持って迫る。26『美しい夏/女ともだち』チェーザレ・パヴェ—ゼ/菅野昭正・三輪秀彦・訳/白水社
静かなる魂の地底の叫び、パヴェ—ゼは自らの死によって作品に光りを与えた。作品を押し上げる力が作家の死とはなんともやりきれないものがあるが。27『カミュ1』アルベール・カミュ/新潮世界文学48/訳高畠正明、滝田文彦、他・訳/新潮社
『表と裏』から『異邦人』『ペスト』『追放と王国』までを掲載したもの。28『カミュ2』アルベール・カミュ/新潮世界文学49/渡辺守章、鬼頭哲人、他・訳/新潮社
『カリギュラ』『戒厳令』から『シーシュポスの神話』そして『反抗的人間』までを掲載している。
この2巻を合わせ読むと生への渇望と死への執着という二律背反の作家の創作の秘密を解読できるかもしれない。1913年11月7日アルジェリアから1960年1月4日の路上の死まで叫ぶように生きた一人の男の宿命とは何か考えたい。29『カヴァフィス全詩集』コンスタンディノス・ペトルゥ・カヴァフィス/中井久夫・訳/みすず書房
大らかな官能を謳い上げるギリシャの詩人カヴァフィスは、エリオットと並んで20世紀最大の詩人かもしれない。30『犬が星見た』武田百合子/中央公論社
夫武田泰淳とのロシアへの旅は生涯最後と予感した夫人、しかしその道中に暗さはなく天真爛漫に見果てぬ世界を描いていく。料理の記述が屈託のない穏やかな時間を物語ってくれる。31『魔法のことば』星野道夫/スイッチ・パブリッシング
アラスカに残る悠久の自然を写真と文章で僕たちに知らせてくれた星野道夫は、語りの天才でもあった。中学の卒業生に贈る講演から、国際イルカ・クジラ会議まで計10本の講演がおさめられている。中でも田園調布中学校の卒業講演が秀逸。初めての講演ということもあって、初々しい。89年の講演だが、以来卒業して15年、彼らは今何をしているのだろう。32『旅をした人』池澤夏樹/スイッチ・パブリッシング
1996年8月8日、ロシアのカムチャツカで星野道夫がクマに襲われて死んだ。生前星野とアラスカの自然を旅する約束をした著者の叶えられない思いは、彼の残した写真と文章をひもとくことによって自分の位相を照らす羅針盤となっていった。33『大江健三郎小説1』(『芽むしり仔撃ち』と初期短篇1)/大江健三郎/新潮社
蠍座の尻尾が見えない四国の山に谷間に生まれた作家大江健三郎のもっとも創作への発露が息づいた作品集。神話と民話の織りなす物語に圧倒される。特に中編『芽むしり仔撃ち』は秀逸。34『海を見たことがなかった少年』ジャン・マリ・ギュスタ−ヴ・ル・クレジオ/豊崎光一、佐藤領時・訳/集英社
溌剌した少年の感受性を見事に描いた世界、憧憬の先にある物語が哀切とし心に響く。35『東海道中膝栗毛』十辺舎一九/日本古典文学全集81/小学館
江戸の滑稽本は主人公の弥治郎兵衛と喜多八の二人は道行きで遊興の限りをつくす。十九のその土地の短い描写や説明は旅の記憶をいっそう誘発される。奇妙な同性愛に満ちたカップルのまたとないロード・ノヴェル。36『ぼくの大好きな青髭』庄司薫/中央公論社
この小説は高校時代に夢中で読んだ記憶がある。東京とはこういうものなのかと、著者の描写に描かれた新宿を読み、実際に歩いたことがある。主人公にけっして共感せず、自己投影することなく、物語に入った珍しい例である。こういうのを同時代というのだろうか。37『現代アメリカ幻想小説』志村正雄・編/白水社
「アメリカの自由と夢」というテーマでフラナリー・オコナーやジョン・バース、ポール・ボールズの短編が編纂されたもの。中でも秀逸なのが、池澤夏樹の訳によるヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」だ。特に口述の箇所がいい。38『チベット遠征』スヴェン・ヘディン/金子民雄・訳/中央公論社
砂嵐の中を進む探検家ヘディン率いるキャラバン隊の目的は中央アジアの魅力的なチベット。自然、地理、風俗、克明に描かれた文章とスケッチは夢見た世界に思いを馳せる愚者の愛おしさか、光る。39『トラッシュ』山田詠美/文藝春秋社
愛とはこのように切ないものか、憎しみとはこのように悲しいものか、主人公の感情の蠢きに涙するのは、自分の感情ひとつを埋葬しているような気がする。ポール・オースターの『ムーン・パレス』を同時期に読み進めた。僕の中のニューヨーク二部作である。40『ムーン・パレス』ポール・オースター/柴田元幸・訳/新潮社
それは人類がはじめて月を歩いた夏だった——、美しい音楽のような第一行からはじまる小説を何度も繰り返し読んだ。希望と絶望が織りなす1965年の秋のニューヨークの恋愛の物語。41『幸福な無名時代』ガブリエル・ガルシア・マルケス/旦敬介・訳/筑摩書房
ニュースが物語であった時代と場所に立ち会う時、1958年ベネズエラでマルケスが克明に記録した世界はまさしくそのような激動の真っ只中にあった。そこに立ち会ったマルケスの嬉々としての姿が眼に浮かぶ。42『ソフィーの選択』ウィリアム・スタイロン/大浦暁生・訳/新潮社
一人のポーランド人ソフィーと、自由な意思を持つネイサンの美しい物語である。それを見つめるのが編集者である主人公だ。3人の織りなす世界はアウシュヴィッツを背景に現代のアメリカの人種、麻薬、そして性を描く大きな成長小説となる。43『ブルーべア』リン・スクーラー/永井淳・訳/集英社
南東アラスカのジュノーに住む写真家リン・スクーラーはゲレイシャーベアを追い求めている。この物語はその記録と同時に星野道夫との回想に連なっていく。極北の自然に魅せられた二人の男の長い旅路が始まる。44『ユルスナールの靴』須賀敦子/河出書房新社
ユルナールの生き方になぜ魅せられたのだろうと著者は考える。違うことと同じこと、そして似ていること。深い憧憬は一人の女性として作家須賀敦子を生成していった。45『ユリシーズ』ジェームズ・ジョイス/丸谷才一、永川玲二、高松雄一・訳/集英社
1904年6月16日、アイルランドのダブリンのたった一日、二人の青年はまだ会うことはなく歩き続けている。46『東京夏物語』荒木経維/ワイズ出版
荒木経維にとって小津安二郎のローアングルという視線はエロスの象徴だった。「写真は空間をフレーミングするものではない、時間をフレーミングする」過去と現在、疾走する荒木の高揚感がいい。47『木のぼり男爵』イタロ・カルヴィーノ/米川良夫・訳/白水社
奇想天外の男爵は実は普遍的な人間像というのがテーマ。このほら話はミュンヒハウゼン『ほら吹き男爵の冒険』がヒントになっている。映画『フォレスト・ガンプ』をなぜか思い出す。48『ジャック・ケルアック詩集』アメリカ現代詩共同訳詩シリーズ1/池澤夏樹、高橋雄一郎・訳/思潮社
1950年代アメリカの光と影を生きたビート・ジェネレーション、そのシンボリックな存在がケルアックだ。アメリカを移動しながら繁栄の空洞をつく言葉は予言的でもある。49『北回帰線からの手紙』ヘンリー・ミラー/スタール・マン・編/中田耕治、深田甫・訳/晶文社
ヘンリー・ミラーがアナイス・ニンに宛てた1931年から1946年にいたる書簡集。手紙を紐解くと、一人の人間がいかに作家になるか、この本は『北回帰線』を書きあげていく過程を示し、その生成を具体的に知ることができる。50『パリ・スケッチブック』アーウィン・ショー/中西秀男・訳/サンリオ
ヘミングウェイに憧れた作家ショーもまたパリに恋した一人だった。カフェドームでブランデーを飲まないうちは大作に取り組む資格はないと考える。カフェのテーブルから始まる物語を豊かな街におく。さて東京はどうか。51『葉桜の日』鷺沢萌/新潮社
賞というものは成長の後押しになるとすれば、彼女こそ受けるにふさわしいと思われた。『帰れぬ人々』から『果実の舟を川に流して』までその短い生を惜しむ、自殺、もったいないなというのが正直な感想。52『夢の砦』小林信彦/新潮社
雑誌とはどのように立ち上がり、どのように消えていくのか、小林信彦の自伝は60年代という時を生きた一人の編集者の成長物語でもある。雑誌、テレビの黎明期ならではの人々の息吹が熱いピカレスクロマン。53『夜のミッキー・マウス』谷川俊太郎/新潮社
柔らかな歌、谷川の詩は声に出すとその美しい言葉が響く。口承詩のような世界は雨上がりの土壌から立ち上る匂いのようになぜか懐かしい。54『極北の動物誌』ウィリアム・プルーイット/岩本正恵・訳/新潮社
いま、極北の森の暮らしをいったい何人の少年は夢見るのだろうか。動物学者プルーイットは開発で揺れるアラスカの自然を憂い、野生動物の生態系をリリカルに静かに謳い上げていく。この本は読む者を北に住むことへ憧れから実行へと駆り立てる。55『アリス・B・トクラスの自伝』ガ—トルード・スタイン/金関寿夫・訳/筑摩書房
なぜスタインは自分の自伝というスタイルはとらず、秘書の名前をかりて彼女の自伝としてこの書を書いたのだろうか、彼女のサロン的な集いに集まるそうそうたる人々の肖像がいきいきと描かれているが、創作と日常に揺れる彼女の観察記は第三者の視点を透したように冷徹でもあった。56『ブルックリン最終出口』ヒュバート・セルビー・Jr/宮本陽吉・訳/河出書房新社
人はこれほど残酷な生きものなのか、人はこれほど優しい生きものなのか、ニューヨークの交通標識はまた天国と地獄の分岐点でもあった。57『サイゴンから来た妻と娘』近藤紘一/文藝春秋
ベントム戦争の特派員だった著者は戦火のサイゴンで子連れのベトナム女性と結婚する。言語、習慣、文化の違いを悪戦苦闘しながら生きるさまは涙と笑いを誘う。58『休暇の土地』影山民夫/講談社
短編を書くべき人がいる。その典型的な人が影山民夫だった。『普通の生活』は彼自身の波瀾万丈の世界を見事に再現して膝を何度たたいたことだろう。都会派という言葉は彼に捧げたい。ジャン・ジュネにならい、人間の悪を宗教ではなく文学に求めるべき人だった。59『日常術/片岡義男「本読み術・私生活の充実」』片岡義男/晶文社
風景を求める旅、人と出会うための旅、旅の動機はその人それぞれ違っているけれど、片岡義男は本を読むために旅をするというぜいたくな時間の過ごし方を知っている。こういう人を旅の達人というのだろうか。著者による写真も美しい。60『島』オールダス・ハックスレー/片桐ユズル・訳/人文書院
一人の文明人がインド洋上の島に流された時、どうサバイバルしていくのか、東の文化と西の文化、自然科学と精神文化の世界の境界にたった主人公の喘ぎ、悲しみ、喜びは読者の声になる。『島』は1962年に書かれているが、1932年に書かれたハックスレイーの『すばらしい新世界』と対に読むとその30年の経過が興味深い。61『コインロッカー・ベイビーズ』上・下巻 村上龍/講談社
現代の黙示録は愛と再生の物語だった。キクとハシという双子の兄弟は廃墟の街に立ち、鼓動を揺らす。村上春樹の『世界の終わりとワンダーランド』と重ねて読む。さらに『愛と幻想のファシズム』を読み進める。それが僕の読書術でもある。62『潮騒の少年』ジョン・フォックス/越川芳明・訳/新潮社
繊細で壊れやすい作家、ジョン・フォードのデビュー作は16歳の少年のほろ苦い同性愛の物語だ。困難さを越える、恋愛小説の常套だとすれば性的覚醒をめぐるゲイという立場はテーマとし新しく無垢だった。63『うたかたの日々』岡崎京子/宝島社
ボリス・ヴィアンに同名の小説を、岡崎京子が悲痛な恋愛小説にして甦らせた。「私の夢はオカザキ版『うたかたの日々』を読んでパリジェンヌが涙を流すことよ」と親しい編集者に彼女は語ったというが、有言実行、東京人も充分に泣いた一冊だった。
64『秋の舞姫』関川夏央、谷口ジロー/双葉社
「坊ちゃんの時代」は4部作ではあるが、特に僕は第2部の森鴎外の一冊が魅かれている。凛冽たる時代に人はどのように生きたのか、明治という時代のすごみと哀れを森鴎外に寄せて描かれていく。なるほどその時代、漱石がいて、四迷がいて、鴎外がいて、啄木がいて、そして一葉がいた。65『独りだけのウィルダーネス——アラスカ・森の生活』リチャード・プローンネク/サム・キース編/吉川峻二・訳/東京創元社
アラスカのツインレイクにプローンネクの小さなログキャビンがある。その小屋には錠が下ろされてはいない。誰でも使える場所としての美しさ。この小屋の使用料は、道具類を使用する際には彼がそうしたように大切に扱うこと、小屋を立ち去るときには訪れたときと同じ状態にすること。66『魔法としての言葉——アメリカ・インディアンの口承詩』金関寿夫/思潮社
この世の自然物に精霊を認め、人と動物は同じだったとインディアンの古老は言う。悠久の自然に育まれた自然と人間の関係、口承詩の持つ活力は言葉が願いとしてのものだった。狩猟、採集の時代、地勢、天候によった人々の姿勢が神話となった。67『ジャック・ロンドン放浪記』ジャック・ロンドン/川本三郎・訳/小学館
四十年という人生がわずかと感じるか、それともまっとうと感じるか、『荒野の呼び声』の著者の波乱に満ちた生涯は自由と不屈の世界を疾走するような力強さを持つ。自分の今をどう生きるか、明日にどう向かうのか。68『モーテル・クロニクルズ』サム・シェパード/畑中佳樹・訳/筑摩書房
モーテル暮らしという移動をモチーフに作品を完成する。車や列車でアメリカを駆ることで創作のスタイルは短い詩とアフォリズムのような散文となる。その中に凝縮された殺伐としたアメリカの原風景。なお本書はヴィム・ヴェンダーズの映画『パリ・テキサス』にイメージを与えたものだった。69『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』岡崎京子/平凡社
清冽とした透明感、その分悲しく美しい世界、95年1月から96年の5月の交通事故の前まで書き綴られた短いエッセイ集だ。身辺という日常にも物語を志向する彼女の意思のような堅牢な世界が待っていた。70『いつか物語になるまで』中上紀/晶文社
作家は果たしてどのような日常にテーマを見いだすのか、中上健次の娘として幼い記憶をひもといていく。たとえ「嘘」であっても願い続けるなら物語となる。ささやかな家族の肖像になぜか魅かれる。71『こうちゃん』須賀敦子・文 酒井駒子・画/河出書房新社
酒井さんの画の持つ力は須賀敦子の静謐な世界にリズムを与えているような気がする。主人公ではなく須賀敦子という作家がいきいきしているのだ。少し憂いを秘めた童話なのは遺作のようにあるからだろうか。72『インタヴューズ1』クリストファー・シルヴェスター・編/新庄哲夫・訳/文藝春秋
20世紀とはどういう時代だったのか、カール・マルクスからアドルフ・ヒトラーまで、1859年1934年に書かれた様々な新聞、雑誌に掲載された著名人のインタヴュー集の第1巻。その声が歴史だった検証が、インタヴューとは何かというテーマになる。73『インタヴューズ2』クリストファー・シルヴェスター・編/新庄哲夫・訳/文藝春秋
この第2巻は1934年から1992年のインタヴューが収録されている。例えばジョン・レノン、ロックが生まれて音楽が状況を撃つという場面をヤン・ウェーナーというインタビュアーは目撃していく。74『「ニューヨーカー」物語——ロスとシェーンと愉快な仲間たち』ブレンダン・ギル/常盤新平・訳/新潮社
雑誌「ニューヨーカー」の編集のテーマは街の話題を書くということだった。コラム、インタヴュー、そして小説。その初代編集長がハロルド・ロスだった。そして短編に力をそそいだウィリアム・ショ—ンが揺るぎないこの雑誌の王国を不動のものにしていった。編集者とは何か、雑誌とは何か、かつ作家の生成という現場を目撃することができる。75『アルベール・カミュ』上・下巻 オリヴィエ・トッド/有田英也、稲田晴年・訳/毎日新聞社
作家アルベール・カミュの生涯を関係者のさまざま証言や書簡によって浮かびあがらせた評伝。この書に併せて、新潮世界文学の「カミュ」の第1巻と第2巻の解説を読むとアルジェリアという風土を通して作家の全体像見えてくる。76『ケルアックズ・タウン』バリー・ギフォード/諏訪優・訳/思潮社
マサチューセッツ、ロウエルという小さな町でジャック・ケルアックは生まれた。時代の寵児としてビートゼネレーションは保守的な冴えない町を出ることによって都会を目指していった。この隣人の追憶と愛着の日々。77『ロック・スプリングズ』リチャード・フォード/高見浩・訳/河出書房新社
まるで上質のノンフィクションを読み進めるように世界が広がっていく。突然の悲劇、怒り、悲しみ、快癒されない傷みを抱え人はどう生きていくのか。78『センチメンタルな旅 冬の旅』荒木経惟/新潮社
愛は讃歌であり、鎮魂でもある。荒木経惟は自らの新婚旅行を「愛」として記録していったものを「センチメンタルな旅」として1971年に私家版を作っていった。そして90年の妻、陽子の死。荒木は愛の軌跡を凝視するものとしての「冬の旅」を置く。30年という時間が物語ものが生は死であり、死は生であるということを指し示す。79『東京日記』荒木経惟/出窓社
永井荷風から荒木経惟へ、風俗のめくるめく断腸亭日常は叙事から写実へと形を変えていく。1981年から1989年、一つのディケードを生きる写真家の極私的日記は虚々実々に満ちて魅力的だ。荒木は文章の天才だとはノーベル賞作家の弁、然り。80『予告された殺人の記録』ガブリエル・ガルシア=マルケス/野谷文昭・訳/新潮社
ある残忍な殺人事件が閉鎖的な田舎町で婚礼の翌朝に起きる。悲劇と喜劇の錯綜が、被害者の人生を押し上げていく。カメラのような冷徹な視線がこの町の抱え込んだものを一つひとつ浮き彫りにしていく。81『20世紀アメリカ短篇選』上・下巻 大津栄一郎・編訳/岩波書店
ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーの短編が収録されている上巻がいい。特にネルソン・オルグレンの「スティックマンの笑い」は秀逸。アメリカの文学のいわば黎明期の作品の象徴として輝いている。82『アレキサンドリア四重奏』ロレンス・ダレル/高松雄一・訳/河出書房新社
『ジェスティーヌ』『バルタザール』『マウントオリーヴ』『クレア』<ぼく>をめぐる4人のそれぞれの物語。ヨーロッパの時間という概念が愛というテーマにのせてうたわれる。83『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ/千野栄一・訳/集英社
男と女の限りない転落、冷戦下のチェコスラヴァキアのプラハからパリへ、悲劇的な状況を疾走する愛、読後やりきれないのは主人公トマーシュに対する思いからか。84『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ/入江真佐子・訳/早川書房
『日の名残』『女たちの遠い夏』から今作まで、カズオ・イシグロのテーマはたえず旅というものにあった。上海を舞台に郷愁ではなく、スリルにみちた仕掛けになっている。85『シートン動物誌』アーネスト・トムソン・シートン/今泉吉晴・訳/紀伊国屋書店
全12巻からなる本シリーズ、特に僕が魅かれるのが第2巻の「オオカミの騎士道」と題され、ボブキャットやオオカミ、そしてコヨーテの生態が描かれた巻のもの。たった一人の北米大陸の野生動物を記録したシートンの姿勢は、結果文明の功罪を僕たちに問いかける。86『罪と罰、だが償いはどこに?』中嶋博行/新潮社
中嶋博行は現役の弁護士、かつリーガルサスペンスの第一人者として活躍している。この書は彼の初のノンフィクション作品だが、犯罪被害者とは何か、かつ犯罪以後の真実に焦点をあて、被害者のための新人権主義、あらゆる犯罪者に完全賠償させる方法を説いている。87『灰色の輝ける贈り物』アリステア・マクラウド/中野恵津子・訳/新潮社
カナダのノヴァ・スコシア半島の対岸に位置する島ケープ・ブレトン島、その過酷な自然の中で営まれる人々の生活。ここの収められた8編の短編はどれも家族をテーマにその地に息づく人々の日常が丹念に綴られていく。88『冬の犬』アリステア・マクラウド/中野恵津子・訳/新潮社
マクラウドは1936年生まれというから現在68歳になる。実に寡黙な作家で1968年に最初の短編を発表してから短編16編と長編が1作だけある。その実に内容が濃い。例えば8編の短編が収められた本書の一編。ただ一度の交わりの記憶を遺して死んだ恋人を胸に、孤島の灯台を黙々と守る一人の女性の生涯を描いた短編「島」は特に味わい深い。今僕はこの作家に夢中になっている。89『波乗りの島』片岡義男/角川書店
日本で誰よりも早く、サーフィンという自然との調和をはかる遊びを創作のモチーフに取り入れた作家は片岡義男だと記憶している。特にこの連作短編はハワイという島を魅力的に描いたもので、池澤夏樹の『カイマナヒラの家』と併せ読むと、この島に住む男の強く儚い世界を垣間みることができるだろう。90『何を見ても何かを思いだす』アーネスト・ヘミングウェイ/高見浩・訳/新潮社
ヘミングウェイ来発表の短編集、なかでも表題作が秀逸だ。主人公のタフであることを自分に課した男の哀切は作家自身の鏡となる。悲しいただただ悲しい短編だ。作家とは、こういう作品を生涯で一つ書くことを願っている人種かもしれない。91『カメレオンのための音楽』トルーマン・カポーティ/野坂昭如・訳/早川書房
ノンフィクションとフォクションの境界をカポーティほど自由に行き来した作家はいないだろう。彼にとってもっとも重要なものは文体なのだ。テーマに依って選ばれるスタイルはその境界の向こうにあるようだ。マリリン・モンローを描いた「うつくしい子供」は1955年のニューヨークの街を背景に、彼にしか描くことのできない世界だ。92『つきのオペラ』ジャック・プレヴェール作 ジャクリーヌ・デュエム絵/内藤濯・訳/至光社
音楽のような絵本だ。翻訳の内藤濯はサン=テグジュベリ『星の王子さま』の名訳で知られているが、娘初穂によると死の直前「もう書きたいことはすべて書いた。言いたいことはすべて言った」という言葉を呟いたという。物書きならばそのようにありたいと思う。93『戦争と平和——それでもイラク人を嫌いになれない』高遠菜穂子/講談社
2004年4月高遠菜穂子はイラク北西部ファルージャ近郊で武装グループに拉致された。その後彼女を襲った悪夢のような出来事の主はイラクではなく日本であった。拘束の日々と再生、彼女は炭坑のカナリアなのか、ゴドーなのか、書くことで忘れえぬ顕現をもたらす彼女の意思に日本人としての誇りを見る。94『パタゴニア』ブルース・チャトウィン/芹沢真理子・訳/めるくまーる
著者37歳の時のデビュー作品である。人はなぜ旅をするのか、チャトウィンは繰り返し自分に問いかける。その後48歳で他界するまでの10年間、紀行文の新しいスタイルを確立して西洋というものを見直していく。95『どうして僕はこんなところに』ブルース・チャトウィン/池央耿、神保睦・訳/角川書店
冒険家というとヘィデンを思いだすが、旅人というと僕はチャトウィンを思う。簡潔で研ぎすまされた文章は彼のジャーナリストとしての出発が幸いしたようだ。風景もそうだが、感服するのは彼の人間観察の鋭さである。96『ホテル・ニューハンプシャー』ジョン・アーヴィング/中野圭二・訳/新潮社
『ガープの世界』と並んでこの作品はアーヴィングの中でも僕の好きな小説である。子どものときに枕元で昔話を聞くような不思議な安らぎがある。全体を志向する作家としていつも次回作が待たれる作家である。97『夜はもう明けている』駒沢敏器/角川書店
どのように人は生きていくのか、どのように人は小説を書くのか、この小説を読みながらそんなことを考える。無意識に抱え込んだ闇を解き放つ手段として書くこと過呼吸の人に無理矢理ビニール袋をかぶせる。そのような行為者を人は小説家と呼ぶのかもしれない。98『サタワル島へ、星の歌』ケネス・ブラウワー/芹沢真理子・訳/めるくまーる
僕たちが祖先から受け継いできたやわらかいテクノロジーを、次の世代にどう伝えるか、その一つに古代六分儀もなかった時の星の航海術であった。北極星を中心に大海を渡る術を身につけた人々がいて、今その航海術を残していこうとする動きがハワイを中心にミクロネシアにあることを本書は伝えている。99『デルスー・ウザーラ』ウラジーミル・ウラジーミル・アルセーニエフ/長谷川四郎・訳/河出書房新社
昔人は動物になれたし、動物は人になれた。シベリアの先住民の猟師デルスー・ウザーラに著者は自然と調和した高貴な人間性を発見する。この本こそ何度も繰り返して読むべきものだと思う。100『ノスタルジア』木原千佳/スイッチ・パブリッシング
タルコフスキーの映画のタイトルのようなこの写真集は、旅をするとはどういうことか、生きるとはどういうことか、一つの答えを出してくれている。大蓮という街を父とともに訪れる。そこはかつて父が生まれた街なのだ。脳裏に浮かぶ地図をたよりに徘徊していく。果たして生家を残っているのだろうか。もはや異国に情緒はない。日本という国が個人史によって浮かび上がる。喪失された時間が一枚いちまい切り取られた写真と文章によって具体的にされている。
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